”ありうる”姿から”あるべき”姿へ -Being & Doing

コンセプト0のロゴ

図解:

円は人体の表面を表し、円の内部は体内を表している。実線は、過去の経験を表しており、円外の実線は、温度、音、光と色の経験を表している。円と実線の交点は、味覚と接触の経験を表す。円内の実線は、経験に基づく記憶や認識を表し、実線と点線の交点(円の中心)は、将来の可能性を考える文脈における現状の評価を意味している。点線は将来へ向けての概念やアイデアを表しており、点線と交わる内側の円弧は人類を、外側の円弧は生物圏を表す。

円内の空間の直線より下の部分は、人間の基本条件である健康に関するの自覚や評価を、直線より上の部分は、固有感覚受容のフィードバックに基づく行為や環境の認識を意味している。

人類が将来どうなりうるかという事は、過去・現在の在り様から予測できるが、人間にとって“あるべき姿”は、現在の在り様や人間のもつ可能性から選択すべきものである。人類や人間にとって“あるべき姿”は、健康、固有感覚受容のフィードバック及び生物圏の限界という文脈において、内なる経験から外的(外受容の)経験を評価することによって結論される。   980924

 

 

 

 

ネットワーク医療のシナリオ

私はテレビを観ているうちに、胃が痛くなってきた。リモコンに手を伸ばしキーを押して、テレビ画面をインタラクティブ・モードに切り替えた。画面には数字を付けたグラフィクスと文字が出ている。私は3(ヘルスケア)を押した。各パーツ毎に数字が付けられた人体の正面、背面、側面が表示された。リモコンで、正面像を表す1と腹部を表す3を押すと、腹部の拡大像が表われた。それは9セクションに分けられていて、数字が付いている。私は主に腹部の上左部に痛みを感じていたので、その部位を表す2を押した。次に、数字を付したグラフィクスとテキストのリストが表われた。

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私が時間を共有したい人々

モリタ社の森田福男社長は親しい友人だったが、かつて福男氏に、私が世界中を講演して回って大勢の人々との出会いがあると思うが、そういう人々をどのように評価するのかと尋ねられたことがある。私は自分がその人ともっと多くの時間を共に過ごしたいと思うかどうかで評価すると答えた。森田福男氏は、さらにどういう人と時間を共にしたいと思うのかと尋ねた。私は人間を「過去志向の人(yesterday people)」「現在志向の人(today people)」「未来志向の人(tomorrow people)」と分類することにしている。あるいは過去→現在、現在→過去、今日→明日、明日→今日の志向と言い換えてもいいだろう。「今日→明日」の問題というのは、最も直近の問題である。私は今日→明日志向または明日→今日志向の人々と時間を共にしたいと思っていると答えた。明日→今日志向の人と仕事を共にすると、基本理念(哲学)の問題にもかかわることになるが、それは今日→明日の問題にいかに対応するかを探る上で非常に役に立つ。

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0 コンセプトとpdの関係

Q:HC0または0コンセプトとpdはどういう関係なのでしょうか?0コンセプトはpdから直接演繹されるものですか?

A:0の概念において、0は“無”か“全体”を表しますが、この概念はインド(ヒンズー文化)で発祥したものであり、私が発明したのではありません。但しその概念を(治療記録や解剖用語など)医療の分野で用いるために各種の数字システムを考案したのは、私が初めてかもしれません。健康志向インデックス(health oriented index)では、0は健康(医療ニーズが無いこと、HC=0)を意味し、解剖のグローバル(数字)用語では0は全身/全体を意味します。
pdは人間の固有感覚を元に、健康の維持あるいは修復のために我々が行う全ての行為と使用する全ての機能物を評価・演繹します。そうやって導きだしたpdスキルと環境は、最小限の無駄で望ましい結果を達成しますから、0の概念にも適っています。
結論:0のコンセプトはpdから直接演繹するものではないですが、相互に適っています。  -DB便り予告編(170318)より転載

固有感覚受容器(proprioceptor)について

固有感覚受容器は、弾性組織の伸展に反応する感覚神経終末であり、主として筋肉、関節、腱、内耳の平衡器官に存在している。

固有感覚受容器へのインプットとは、組織伸展の変化であり、固有感覚受容器からのアウトプットとは反射である。
固有感覚受容器は全ての動物に存在し、植物と動物を区別する鍵でもある。動物には小さなアメーバも含まれるが、アメーバは水流の力に反応して、水流とは独立した動きを示す。この場合、水流の力が、固有感覚へのインプットと言える。内部受容器、外部受容器との対比において、「固有感覚受容器」という言葉を造ったのはDr. Sherrington*(神経生理学者)だが、果たして彼が固有感覚受容器を、動物と植物を区別する鍵とみなしていたかどうかは定かではない。*(https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Scott_Sherrington)
私の主な関心は、人間の大脳に対する固有感覚受容器からのフィードバックである。人間は大脳において固有感覚受容器からのアウトプットに基づいて自身の願望/ニーズを満足させる判断(決定)を下したり、目/耳を主体にした価値観から自身の体のフィール・ベースの価値観への転換を図ったりできる。70億人以上の人間をかかえて、母なる地球は今や限界に達しつつある。固有感覚受容器による、すなわち自分自身が感じる(知覚)するものは、地球の重力と生物圏の限界の中でいかに人類が適合できして生きるかを明らかにする鍵となる。

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