DrBeach わが思い出の記 第7章 (和訳)
熱海にHPI研究所を開設-日本を拠点としたグローバル活動
私は1970年、日本の熱海にHuman Performance Institute (HPI)と称する研究所を開設した。熱海に移ったのは、東京の大気汚染のために娘 Lynの喘息が悪化した事が主な理由だった。熱海の空気はきれいだったし、熱海には新幹線が走っていたので研究所の訪問者にとって便利な立地だった。 Dr宮田や森田氏など、私の富裕なビジネス上の友人たちは、大勢の富裕な患者や大学とのつながりがある東京を離れて、私がなぜ人口5万人にも満たない小さな町に移ったのか不思議がった。Dr宮田は東京で1963年に開設したモデル・クリニックを新築ビルにも展開していくという大きなプランを私のために温めていた。森田氏は、熱海の住民や歯科医院の市場調査をした結果、私はすぐに破産するだろうと考えていた。
私はモリタ社からエンジニアリング・コンサルタントとして1年に150万ドル以上を受け取っていたが、私にはきれいな空気と医療のためのグローバル・スタンダードの活動の方が、ビッグ・マネー、ビッグ・ショウ、ビッグ・パワーよりも、大切だった。
熱海に移ってまもない頃、私のスタンスを試すもう一つの踏み絵が待っていた。Dr宮田は熱海の大型ビルを購入し、医科・歯科両分野のスタッフを抱えた頭頸部医療研究所を設立し、ビルの屋上に負傷した患者を高速道路からヘリで運ぶためのヘリ・ポートを設けるという計画を立てていた。長い時間をかけて検討した結果、私はこの研究所の所長というオファーを断った。ビルそのものは魅力的な植栽に囲まれていたのだが、ビルにいたるまでのドライブウェィ沿いに廃車置き場があったからだ。毎日出勤するのに廃車の山を通り過ぎるのが嫌で、受け入れる気になれなかったのだ。 Dr宮田は何とかしてこの廃車置き場の土地を買い取ろうとしたが、所有者は別の廃品置き場の中の掘っ立て小屋に住んでいて、どんな大金も受け取る気はなかった。私は時々、もしこの時医科・歯科医療研究所の所長という、日本の大富豪トップ10の一人からのオファーを受けていたら、今頃どうなっていただろうかと思うことがある。
このオファーを受け入れる代わりに、私は、熱海市所有の大きなビルの1フロアを借りて、研修施設と、24の診査・治療エリアを持つクリニックを開設した。 4つの診査/治療エリアと4つの相談エリアは予防専門家(注:衛生士)の専用とした。また4か所に、レントゲン撮影や他の手短な手順を行うために固定式の椅子を設置した。HPIは少人数のスタッフでスタートしたが、やがて60人以上の大所帯になった。大半のスタッフは、クリニックで診療に携わった。HPIは多くの国から短期滞在のスタッフも迎えいれた。

東京のモデル・クリニックとの違いには、以下の点が含まれていた;
1. ほとんどの壁の除去。壁は日常会話に対して視覚と聴覚を遮る障壁である。
2. 患者の身体を倒すデンタル・チェアの排除。熱海のクリニックは、医科のクリニックに似ており、患者は診査や治療を受けるには自分で平らな診療台に横になり、相談の際には椅子に座った(自ら自分の体の位置決めをする事)。
3. トレーやインスツルメント・ホルダー、オペレーティング・ライトなどの位置決めのためのパーツ/ジョイントの排除。これらを排除することによって、HPIのコースの価値は高まったが、それと同時に歯科用器械のメーカーが生活の糧として依存していた様々なチェア・ベースの器械や付随するインスツルメント類のニーズを無くすることにもなった。 HPIは注目を集めるようになったが、HPIの受講者たちがHPIのクリニックを模倣して診療所を開設していき、いわばクリニック・チェーンが拡大していくにつれて、歯科業界の反発にもあった。70年代後半には、HPIに対する歯科業界の反発は故意というより、彼らのフラストレーションのために組織化されていった。クリニックの開設を計画する者は、HPIか、何千人もの歯科用器械やインスツルメントのセールスマンのどちらを信じるのかという二者択一を迫られた。この対立は今日でも続いているが、歯科医療の質と経済に多くの影響を及ぼしうる。 歯科治療の諸条件に関する対立は、日本を中心としたビーチ/HPI対ドイツのメーカーが牛耳っていたISO Work Group 3の対立から、後にはGEPEC (Global Engineering Promotion & Education Collaborative)とESDE (Europe Society for Dental Ergonomicsヨーロッパ歯科人間工学会)の間でコンセンサスを得ようとする試みへと進化していった。
*健康志向のインデックス(Health Oriented Index):
数年後に私はHPI研究所の記録を数字による健康志向の患者/診療記録に変えた。HPI研究所の治療手順マニュアルは、XYZ,数字の分類、タイム・ポイント(情報提供や治療実施を1分単位で記録する方法)に変わった。
*Donとの出逢い:
ハーバード大学医学部外科の教官かつMITの外科レジデントは、医科と歯科の接点を見た。彼の名前はDon Butterfieldと言った。彼は来日中に埋伏智歯の抜去が必要となり、東京のモデル・クリニックで私が抜歯している間、彼はミラーを手に持ち、その手順を観察していた。 翌日彼はクリニックで多数の写真を撮った。その後私が熱海に移ってからも、彼は毎年来日するようになり、ある日のこと、彼はもし私がハーバード大学に招かれ外科の研修医を教える事になったとしたら、最初に何をするかと尋ねた。この問いが発端となり、彼のハーバード大学での教職は終わることになる。私は、自分が彼らに役に立つ情報を提供できるかどうかを判断するために、研修医に目隠しをして、オープン・スペースで最も一般的な治療手順をパントマイムで行ってくれと頼むだろうと答えた。 彼が盲腸の摘出が最も一般的な処置だと言ったので、私たちはひとけのないホテルのロビーに行き、そこで彼はパントマイムで盲腸摘出を行った。この処置は通常どれくらいの時間を要するのか、彼に聞いた。 彼は、自分は手が早い術者だから、平均すれば18分だと答えた。それで私はストップ・ウォッチで時間を測る事にした。確かに彼は18分で終了したから、おそらく頭の中に明確なイメージがあったのだろう。私の2つのコメントが彼を驚かせた。私は彼が時々腕を素早く振って、「くそっ」と口をすべらせる事に気づいた。また彼は左に移動する際、肘を自分の身体に引き寄せていた。彼が腕を振るのは、ナースが保持している滑りやすいリトラクターを置き替えるためで、肘を体に寄せるのはエーテル・カーテンが邪魔になるせいだった。 Donは上司の教授に、リトラクターになぜ滑りやすいキャスターを使うのか、またエーテルを使用しなくなっているのにエーテル・カーテンがあるのはなぜかと尋ねたが、その答えはハーバード大で行っているに事には全て正当な理由があるのだというものだった。彼はこの回答に満足できず、辞職した。 次にDonが来日した際に、医科のクリニック用にしたいからと、HPIクリニックの図面を求めた。ドアがない開放的な環境に魅かれた彼は、それを受け入れるように何人かの医師たちを説得した。医科の患者用に視覚と聴覚の障壁を少しだけ、過度にならない程度に増加した。朝クリニックの引き戸が開けられ、受付エリアに入れるようになり、夜間はそれが締められる。ーだがドアはなかった。 彼がクリニックの図面を準備した後、ボストンのメディカル・グループは彼らには理解しがたいという理由で、それを却下した。彼は熱海の歯科医師会がHPIの歯科医師の入会を拒むという事を含め、HPIが直面していた問題の一端を味わったのだ。私は医師会や歯科医師会が社会全体や患者たちにさほど恩恵をもたらしているとは思わなかったので、余り気にはしていなかった。 歯科業界には多くの競合会社があり、何千人というセールスマンたちが働いていた。メーカーの中には、当時パーフォーマンス・ロジックと呼んでいたシステムを市場に導入しようと真摯な努力をしている会社もあったが、彼らは常にリター社が直面したジレンマに陥った。すなわち歯科業界は、多様な製品の選択肢を提供する各地の代理店の販売・保守網に依存していたが、HPIが扱うのはトータル・クリニックのシステムであり、HPIはエンジニアにも、患者を含むユーザーにも直接コンタクトを取っていた。
米国で最大手の代理店チェーンの一社(Patterson)の幹部2人が、私たちのコンセプトを理解しようと10日間HPIに滞在した事がある。私は初日に彼らに、1)患者として、2)クリニックの院長または管理者として、3)歯科医師として、4)クリニックのスタッフとして、一生涯人間を主体とするシステムを望むかどうかを決定するには、3日あれば十分だと言った。 3日後に彼らは完全に説得された。それから私たちは1週間、いかにして彼らが自分たちの社員や営業所の従来の発想のまま、HPIのシステムを市場で販売できるだろうかを話しあった。私の記憶では、私たちの討議は、さらに数日延びた。
私たちは最終的に、デンタル・ショーやカタログに製品の多数の選択肢を提示するという手法では、HPIシステムの販売に成功するのは無理だと結論した。HPIシステムは、人体組織の伸展や体の接触の感覚に基づいているが、市場は製品に目を惹きつける事を優先しているため、本当に重要な事、つまり体の使い方に関する体を主体とした情報から注意がそらされるのだった。 今日、私たちはシステムの名称を、固有感覚に基づく演繹(proprioceptive derivation)の頭文字をとってpdと呼んでいる。pdは人体組織の伸展感覚を基にして、最適な体の各部位のポジション、運動の軌跡、医療施設において体のポジションや動きに影響を及ぼす全ての環境要素を検証する。 pdを完全に適用すれば、多様な製品はおおいに減ることになるので、歯科用器械やインスツルメントの代理店から更なる支持を得ることは期待していない。これらのスタンダードから恩恵を得るのはエンド・ユーザー-患者やクリニックの医療従事者たち―さらにはWHOや医療省庁だけであることが徐々に明確になった。
*数字による患者診療記録:
1970年後半には歯科大学の管理者たちがHPIに関心を持ち始めたので、HPIは電子記録が登場する前から、数字による患者診療記録や治療手順の数字化に深く取り組むようになった。 私たちは、HPIのスタンダードが短期的にも長期的にも患者治療に恩恵をもたらすものだということをどうやって証明できるのかと問われた。私はHPIの何千人という患者のカルテに目を通した結果、歯科医師会がカルテの入力用語として認めていた日本語、英語、ドイツ語の言葉や略称は、歯科治療の質という点では何も示してはいない事に気づいた。 例えば、カルテの記録をスキャンして再治療率を把握するのは、ほとんど不可能だった。さらにXYZと時間、数字分類に基づいた治療手順マニュアルの方が、英語や日本語で記載したマニュアルよりも、治療結果の一貫した正確さや学習の所要時間、手順の各ステップの詳細の知覚などの点で、はるかに優れている事が分かった。私たちは歯科大学や歯科医師会は、コンピュータ化した患者記録や治療マニュアルが患者や学生に提供できる恩恵を認めるような組織ではない事にも気づいた。 (第8章へ続く)