GEPEC 便り 10月号 -no.7-

前略。秋も深まってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?ちょうど2年前の今日DBは世を去りました。私は「しばらく私は単身赴任で地球に残るけれど、そのうち合流するから待っていて。」と言って彼を見送ったのですが、この2年間を振り返るとあっという間だったようでいて、随分長かったようにも思え、感無量です。pdに関する情報発信からは脱線しますが、DBの命日にちなんで、今月は彼の“人となり”を取り上げたいと思います。

1)わが思い出の記:

以前にも何度かご案内させて頂いたhttp://www.drdarylbeach.net は、英語のウェブサイトですが、少しずつ日本語のページを追加しており、毎月のGEPEC便りを、メニューのideas (Japanese)に投稿しています。今後はDB自らが書いた「My memoire(わが思い出の記)」の和訳も連載の形で掲載していく予定です。

今回は「第1章:子供時代」の和訳をお届けします。(原文は同ウェブサイトのMy Memoireをご覧ください。)

DB わが思い出の記 第1章

10月31日DBと親交が深かった方々と共にHome Partyを開きました。

2)DBの人柄:

「わが思い出の記」第1章の末尾にも述べられていますが、DBは生前、自分自身が後期高齢者になってからも折にふれて両親の話をしていました。私は、生涯にわたってDBほど両親、特に母親のことを話した人を他に知りません。以下はその逸話の一つです;

日本が真珠湾攻撃をして、米国も第2次世界大戦に参戦した当時、米国内では日系人はキャンプに収容され、国民の間で日本人に対する憎悪が高まっていました。ちょうど日本では敵国の欧米人を“鬼畜米英”と呼んでいたように、米国では日本人は(侮蔑の意味をこめて)“Jap(ジャップ)”と呼ばれていました。ところが当時、DBの父親は「やがて戦争は終わる。終戦後は、それまで殺し合い、憎み合っていた敵国同士が、色々な理由で同盟を結んだり、友好関係を結んだりするようになるのが常だ。米国と日本だって必ずそうなる。戦時中の憎悪は、人為的に作り上げられ、煽り立てられて生じているものだから、それに騙されてはいけない、同調するな。」と言っていたそうです。

そういう父親の影響を強く受けたDBは、ヒトの肩書には頓着せず、大学の学長であろうと、ビルのお掃除おばさんであろうと、全く対等に接していました。それが大勢の人々から慕われてきた理由ではないかとも思います。

生前の彼の言動を思い返せば、DBの“人となり”には、もう一つ特筆すべき点がありました。

それは個人攻撃は一切しないということでした。

DBの仕事に関する要求はとても厳しく、身近に彼と協働した経験のある方々の中には、私を含めて、DBから無理難題を課せられたと感じたヒトも少なくないだろうと思うのですが、それは個人に対する非難・攻撃とは別の次元の厳しさでした。

熱海のHPI時代から、DBのスタッフの誰かが、「誰それは、ああだ、こうだ」と批判を始めると、「そういう話は聞きたくない。何の解決策も生まない、時間の無駄だ。」と言っていたのを思い出します。また「他人をそしる前に、自分を批判すべし。人さし指は、相手ではなく自分自身に向けるべし。」とも言っていました。私自身も、一度ならず、たしなめられた経験があります。

DBと口論になって、「あなたっていうヒトは、xxx」とYou~という言葉で会話を始めると、Don’t get personalとよく言われました。(この表現は個人攻撃するなという意味なのだと思います。)褒める場合のYou~は良いけれど、非難・叱責のYou~は口にするなというわけです。

「なぜこんな簡単な事ができないのだ。」という相手への非難は、「なぜこんな簡単な事ができないような指導しか自分にはできないのだ。自分のどこが間違っているのか?」と自分に向けるべし。ヒトをそしる前に、自分自身を批判の目で見直すべし。

個人攻撃をするなかれ。今月はこの言葉をDBの教えの一つとして、皆様と共有させて頂きます。

                10月29日 GEPEC事務局 三明幸江