DB便り 3月号 no.12 -Key words 変遷の経緯ー

前略。3月もあっという間に過ぎてしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか?今年は桜の開花が随分早く、関西ではすでに満開です。

DBはDr.Changeというニックネームを頂くほど、キーワードを色々変えてきましたが、決して気まぐれに表現を変えたわけではなく、意味するところが経年的に変遷してきました。

そこで、今回はどういう背景・理由で変化してきたのかという事について、私の理解する範囲で振り返ってみたいと思います。

1960年代~1970年代のキーワードは、Home Positionでした。これは先生方にとって、とても分かり易い表現だったと思いますが、実はDBの造語ではなく、当時テクニカル・ライターとしてDBが雇用していたhuman engineer (人間工学の専門家)であるMr Leo Perkinsが提案した表現でした。Mr Leo Perkinsは英字新聞に掲載した求人広告に応募してこられた唯一の方だったと聞いていますが、後には明海大学で長く教鞭をとられ、名誉教授になられました。

その後 Performance Logicというキーワードが出現します。

1971年、そのキーワードを冠したHPI研究所 (Human Performance Institute:のちにHuman performance & Informatics Institute に改名)が創立されました。また1978年、HPIヘルスケア・モデルが設立されました。

さらに関東では1983年、パーフォーマンス・ロジックに興味を持つ歯科医師の団体としてAPLO(創立会長 Dr久保慶浩)が、関西では1984年にOMU(optimum management unit)と称するpd認定歯科医院において診療している開業歯科医師の団体としてOMUアソシエーション(創立会長Dr三原博直)が創立されました。

Performanceという言葉は、芸術の分野においては、ダンスやバレー、パントマイムなどの“身体表現”を意味しています。他方日常会話において「あれはパーフォーマンスだ」というと、実質を伴わないジェスチャー(“ふり“)というマイナスのニュアンスを持つ側面もありました。医療行為としての人体の動き・使い方を表すのに、Performanceという言葉を用いたのは、おそらくDBのオリジナルだろうと思います。余談ですが、当時Performanceの訳語として「実践」という言葉が使われていましたが、(先人を批判するようで心苦しいのですが)誤解を招く訳語だったと思います。

1980年代には、DBの活動の焦点は、それまでの開業医の先生方を対象とする研修コースから、WHOや歯学部へのアプローチに変わってきました。米国メリーランド大学歯学部、ミネソタ大学歯学部、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学歯学部などの学部長の先生方はDBの開発・考案したシステムに賛同し、学部学生の教育に導入することを検討して下さいましたが、他方で大学関係者からは performance logicという表現は、上述の理由から科学的ではないという批判が寄せられました。そこでDBはperformance logic に代わる表現を模索していました。古くから親交があった大阪大学歯学部の名誉教授であり生理学の大家、河村洋二郎先生に相談にのって頂きproprioception(固有感覚受容)という生理学用語に基づくpd (proprioceptive derivation)という表現に決まりました。

そして1989年、受診者の立場にたち、pdの諸条件の普及、推進に賛同する医師、受診者、産業界の代表者など全ての関係者を会員とする組織として、世界pdヘルスケア・ソサエティ(会長:Dr河村洋二郎)が創立されます。

その後、OMU Association とAPLOが発展的解消を遂げ、NPO法人GPP-J(後にpdpグループに改名)の設立につながった経緯は皆様ご存じの通りです。

さらにDBの人生の最終章として、2005年NPO法人GEPECが設立されます。GEPECとpdpグループの連携の意義について述べたDBのコメントをご紹介します。(2006年4月発行APLOの機関誌Vol22に掲載のDB講演録から抜粋)

「エンドユーザーの先生方が企業の製造技術部門のエンジニアと直接話をしたり、情報をフィードバックしたりする機会はほとんどないに等しい。通常は、医院に出入りしている営業マンにメーカーへの要望や苦情を言って、社内でエンジニアに伝えてもらうというルートになっているが、営業部の判断によるフィルターがかけられるので、必ずしも正確に技術部門に伝わるわけではない。エンドユーザーとエンジニアをつなぐ“かけ橋”となるということは、GEPECの大きな狙いの一つである。私はGEPECとpdpグループが密接な関係を持つことによって、メーカーに対するエンドユーザーの影響力が増すことを願っている。」

晩年DBはOMUという言葉を使わなくなりました。OMU(optimum management unit)の最適なマネジメントとは治療の管理、時間の管理に加えて経済的な管理も含まれています。日本の経済や医療制度の枠組みにおいては、最適なマネジメントのために、クリニック内のエリア数や総面積を規定できるでしょうが、世界の状況を考えると、日本での最適な条件を一律にあてはめることはできません。例えばフランスでは今でも歯科衛生士という職種は存在しません。治療費の支払い制度も各国で異なっています。このような状況を踏まえて、pd認定はエリア毎に行うが、クリニック全体に対する認定はしないという決定を下しました。

上述からもお分かりだと思いますが、キーワードの変遷だけでなく、DBが関与した組織も設立・解散を繰り返してきました。

色々な方から「DBは一体何度組織を作ったり壊したりすれば気がすむのか」というご批判が寄せられたことは、DB自身も自覚していました。

DBいわく、「組織は目的地に到達するための“乗り物”であって、組織の存続そのものを目的とするのは主客転倒だと思う。目的地が変われば、乗り物も変えるべきだ。」

組織運営に苦労されている方々にとっては迷惑千万な話でしょうが、一理あるのではないでしょうか。

日本国内で今後の活動を展開するにあたって、DBの頭の中には「GEPEC-pd普及の会」を主軸とする構図がありました。

1960年代以降、各地に生まれたスタディ・グループは各々独自のスタンス(優先項目)を掲げてコース活動を行っておられますが、DBは生前「協力の枠組みの中で健全な競争をしてほしい」と言っていました。

小さなパイのひと切れを奪いあうのではなく、パイのサイズを大きくするように、各地のグループの先生方には、pdpグループと補完的に活動を行う事によってpd普及の裾野を広げて頂きたいと願ってやみません。