愛国心ではなく、愛球心を

Daryl Beachは愛国心や国益の大義名分をかざす政治家たちを嫌悪していました。世界に広がる右傾化の情勢を憂えていました。

また生前に彼はよく言っていました。「僕は、いい時代に生きられて幸運だった。子供時代の辛さを思えば、それ以降の人生は楽園だった。僕の子供時代を知りたければ、スタインベックの「怒りの葡萄」(The Grapes of Wrath) を読んでほしい。そっくりそのままの人生だったから。僕たちは、人間社会は過去より現在、現在よりは未来の方が豊かになる、良くなると信じていた最後の世代だ。これからの世界で生きていかねばならない、僕の孫たちやそれ以降の世代は、本当に気の毒だと思う。物質的な豊かさの頂点に生まれてきて、何かが抜本的に変わらない限り、それ以上良くなる事など望めないのだから。」

 父の影響私が国家や国旗を尊敬することがなかったのは父の影響だと思う。父は国旗に対してアレルギーを抱いていた。いつの時代も国旗を振りかざすのは戦争好きや頭の悪い輩だったからだ。第一次大戦中、父はドイツ人のコミュニティに住んでいた。ドイツ人を嫌っていた大手の穀物メーカーは、農家から穀物を買い取る場所で、穀物を測る時に実際より低い重量に誤魔化していた。またフーリガンと呼ばれた彼らは米国の国旗を振りかざしながら、ドイツ人世帯のところにやってきて嫌がらせをしてた。後に隣人たちは自衛団を組織して、インディアンのように煙を焚いて合図を送った。フーリガンが家に押しかけてくる時に、ビーチ家は隣近所で唯一ドイツ系ではない名前だったため、父はnon-partizan連盟から、秤量のインチキを阻止し、国旗をふりかざすフーリガンの攻撃を阻止する任務の長を任された。大手穀物会社は父をアメリカの裏切り者と名指した。父にとっては、心の温かい近隣のドイツ人たちの方が、フーリガンが言うところの愛国心より、ずっと大切だったのだ。第二次大戦中に私は海軍の指揮官だったが、部下に国旗に敬礼するよう命じた事は一度もない。40代後半には国の儀式への嫌悪感や大戦後の冷戦中にPinkoと呼ばれていた人々(赤ではない)と交流があったというので、共産党員だというレッテルを貼られていた。     (My Memoirsからの抜粋)