私が時間を共有したい人々

モリタ社の森田福男社長は親しい友人だったが、かつて福男氏に、私が世界中を講演して回って大勢の人々との出会いがあると思うが、そういう人々をどのように評価するのかと尋ねられたことがある。私は自分がその人ともっと多くの時間を共に過ごしたいと思うかどうかで評価すると答えた。森田福男氏は、さらにどういう人と時間を共にしたいと思うのかと尋ねた。私は人間を「過去志向の人(yesterday people)」「現在志向の人(today people)」「未来志向の人(tomorrow people)」と分類することにしている。あるいは過去→現在、現在→過去、今日→明日、明日→今日の志向と言い換えてもいいだろう。「今日→明日」の問題というのは、最も直近の問題である。私は今日→明日志向または明日→今日志向の人々と時間を共にしたいと思っていると答えた。明日→今日志向の人と仕事を共にすると、基本理念(哲学)の問題にもかかわることになるが、それは今日→明日の問題にいかに対応するかを探る上で非常に役に立つ。

どういう人と時間を共にしたいと思うかを考える時、自分の人生の限界についても考える。人生において最も貴重なものは時間だ。誰かに出会った時、私は「自分はこの人ともっと時間を共にしたいと思うか?あるいは少しの時間だけでいいのか?全く時間を共にしたくないのか?」を考える。もちろん時が経つにつれて、状況の変化によって、考えが変わることもある。最近、私は自分に残された時間のことを考える時、以前にもましてグローバルな視点を持つようになり、同じ価値観を共有する人々と時間を共にしたいと思うようになった。大半の人々は、今でも国という枠の中で生きていて、国の視点で物事を判断する。個人的な関係において最大の葛藤というのは、国をベースにした価値観とグローバルな価値観の衝突にあると思う。最近はグローバルについて語られることが段々と多くなってきている。“グローバル”という言葉が最適かどうか定かではないし、別の表現の方がいのかもしれない。“グローバル”というのは“地球”という意味であって、グローバルの限界とは、地球の重力ないし地球の生物圏だと思う。生物圏は国家を超越している。私がオバマ大統領を尊敬しているのは、彼が地球の生物圏の変化について憂慮していたからだ。これは国家の政治家として声高に語るのに、大衆受けするテーマではない。ナショナリスト(国家主義者)は国益優先で、自国以外の事はお構いなしである。ナショナリストはユニーバーサル(Universal) という言葉をよく使うので、私はこの表現は要注意だと思っている。グローバル志向の人々は、科学者のように測定しうることを尊重し、グローバルの限界を意識している。ユダヤ教やイスラム教、キリスト教などの一神教の宗教は、いずれも、夜に澄みきった空を見上げると地球を超えて宇宙のかなたまで見ることができる、暑く乾燥した砂漠地帯で生まれている。他方、東アジアの宗教では神は一人ではない。私は地球の限界を認識する人々を尊敬する。宇宙云々という人々とは時間を共にしたいとは思わない。彼らが宇宙を語る時、来生(=宗教感)のことが含まれている事が多いからだ。また拝金主義の人たちも退屈だ。自分がいくら儲けているとか、何を所有しているかについて話したがるが、私にとっては時間の無駄だ。彼らの価値観は、金銭ベースなのだ。むしろ話していて楽しい人なら、何も持っていない人の方が面白いのではないかと思う。

今日何が最も有意義なのか?私は国を超えて、グローバルな視点で問題解決にあたることだと思う。世の中はこの方向に急速に動いている。過去には私は、賛同者も少なく一人だったが、今は違う。

ーDB便りno.9 (171230)より転載